近況1月 その①
昨年末に1年を振り返ろうとしたら結構いろんなことを忘れていました。LINEやTwitterを見返してようやく思い出したような状況でして。
そんなことがあったので、今年は近況をできるだけ記していこうと思います。順調にいけば4月から仕事に復帰するので、1年間続くか分かりませんが。
留守番の正月
年が明けて間もなく、夫の祖父が亡くなったと連絡がありました。
特にこのご時世で生後4か月の娘に長時間の移動を強いることはできないと、もともと夫の実家には帰省しない予定で過ごしていました。しかしこのようなこととなったため急遽帰省することに。とはいえ娘が生後4か月であることには変わりないので、娘は自宅で留守番、私も一緒に残ることとなりました。不幸があった中でほかのところに「あけましておめでとうございます」と挨拶するのもなんか違う気がして、予定していた私の実家への訪問もキャンセルし、私は赤子と一緒に自宅でのんびりと正月を過ごすことになったのでした。
昨年の夏に娘が生まれ、自宅に戻ってからは息子(3歳)の自己主張や甘えにイライラする日々が続いていました。息子は母親である私と一緒にいたい、もっと構ってほしい、甘えたいという気持ちもあっての悪戯や所謂イヤイヤが出るのだろうと、頭では分かっていても苛立ちを止めることはできず。言葉はどんどんきつくなり、娘が生まれる前は考えられなかったような言葉を毎日浴びせていました。明日はそんなことないようにしようと思っても止められません。息子に無視されたときには腕を引っ張ってこちらを向かせて怒ったこともありましたし、足を絡めていたずらされ、注意しても聞かなかったときには「踏んづけられたいの?」と息子の足に自分の足を乗せ少しずつ体重をかけ、痛いと言って来るまで踏み続けたこともありました。
これ以上は息子の情緒の発達に影響する、息子がどんなに私を求めていても距離を取らないとヤバい。そう分かってはいても、距離をとれる状況ではありませんでした。時々夫や私の実母が子どもたちの世話を代わってくれてはいましたが、結局イライラは止まらなかったので、今思えば休息時間は足りてなかったんだと思います。
そういった状況もあって、夫が「俺が息子を連れていくから梔子は娘と休みなよ。娘といる分には大丈夫でしょ?」と言ってくれ(実際娘に苛立つことはほとんどありません)、まとまった休息をいただくことになったのでした。もし私が余裕で子どもたちの育児ができていたのなら、夫一人で帰省していたかもしれません。
行った先での息子は親戚の大人たちに沢山かわいがってもらい、特に問題なく過ごしていたようでした。こっちはこっちでテレビのチャンネル権という人権を手に入れ「箱根駅伝を観ずに自分の好きな番組を観る」という、おそらく人生初の正月を体験したり、娘の授乳タイムを外して散歩をしたり初詣をしたり本屋で本を買って読書をしたりと、なかなか本格的な休暇を過ごしました。箱根駅伝は応援している学校、チームがないので、「長距離走つらそう」、「襷つながらないのしんどい」という気持ちにばかりなってしまい、「できればほかのものを観たいんですが(自分にはチャンネル権がない)」とずっと思っていました。
数日して夫と息子が帰ってくる日になり、娘を連れて池袋まで二人を迎えに行きました。
そのときの、私を見つけたときの息子の反応にびっくりしてしまって。
息子、私を見て泣き崩れる……。元気に駆け寄ってきたなと思ったら、膝から崩れ落ちて、わんわん泣き出してしまい、それを観て私も夫も「どうしたの」と戸惑ってしまいました。
おそらくですが、息子は帰省先で楽しそうに過ごしていたものの、「おかあさんいないな、なんでだろう」と思っていたりとか、不安や寂しさを感じていたりとか、知らない人ばかりの状況でなんとか適応しようと頑張っていたりとか、していたんじゃないか。それが私の姿を見て、緊張の糸がプツンと切れてのあの反応だったのかなと思います。
数日の休息を経て、息子のそんな姿を見たのもあって、年が明けてからは息子に苛立つことが明らかに減りました。3歳と0歳を一人で世話するのは相変わらず大変ですが、夫や実母の助けを借りながらなんとかやっています。自宅に帰ってからの息子は「パパじゃやだ、おかあさんがいい」と言う場面が増えてしまって、今度は夫が可哀想なことになっています。私自身、夫にそっけなくしたり「早起きしろ」と嚙みついたりというのを、子どもが傍にいる、いないに係わらずやっているので、子どもたちが真似しないようもう少し夫を大事にしなければいけません。実際、いないと困るので。
今、息子については別の面でほんの少し困ったことになっているのですが、長くなってしまったので、それはまた別の記事で書くことにします。
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