子どもを産みました
去る8月18日、私達夫婦の間に2人目の子が生まれました。
経産婦にしては難産だったのかもしれません。その「難産だったかもしれない出産」の話を、今回はしたいと思います。
微弱陣痛
陣痛に気づいたのは、18日の午前2:30頃。陣痛アプリの記録では2:46が最初になっていますが、たぶんその少し前、トイレに起きてから「様子がおかしい」と感じていたと思います。「様子がおかしい」で済むくらい、私の陣痛は軽いものでした。
ただの前駆陣痛かもしれない、という予想もしましたが、この日は出産予定日。まさに今日生まれてもなんにもおかしくない日です。医師もかねてより経産婦の私が予定日を過ぎて産気づかなかったら、ということを心配していました。それらを踏まえて、余裕のあるうちにいそいそと支度をし、病院に連絡を入れ、陣痛タクシーを呼んで病院に行きました。
病院に着いて割とすぐに、破水してるかどうかの検査をしたと思います。破水のような違和感は1週間ほど前からありましたが、何度検査をしても陰性ということが続いていました。そして、この日も破水はまだしていませんでした。
これまでだったらここで家に帰らされていましたが、お腹の張り具合を見るとどうやら本当に陣痛が来ている様子だったらしく、そのまま入院となりました。
息子を産んだときもそうでしたが、私は自発的に陣痛を起こす力が弱いようで、「生理痛かなー?」くらいの痛みしか、自力では感じられませんでした。
めちゃくちゃ痛くないと「ダメだわもう出したい(産みたい)」という感覚にならずお産に時間がかかって危険なので、陣痛促進剤の投与が始まりました。息子のときも今回も点滴での投与でしたが、どうやら飲むタイプの促進剤もあるようです。どういった場合にどちらにする、とかは分かりませんが。
促進剤は既に一度経験しているので「コレ(点滴)打たれたらあの痛いの来るんでしょ」と分かっていて、その分憂鬱でした。
子宮口が開かない
前回の出産と違ったのが、まず「子宮口が開かない」ことと「産道がムチムチしている」と言われたことでした。後者は言われたときに「私、太りすぎましたか今回!?」と焦りましたが、結果的に大した問題ではなかったようでした。
前者については、息子を産んだあとの子宮頸がんの手術が影響していたようです。手術痕の部分が硬くなってしまっているせいで子宮口が上手いこと開いていない、とのこと。こちらはバルーンを入れて刺激したら一気に問題解消しました……ということで子宮口が全開となり、私の陣痛も耐え難い状態となりました。
2時間粘るも生まれない
子宮口が全開になる頃には、お昼を回っていました。陣痛が痛すぎて食べると気持ち悪くなってしまい、出されたお昼を残してしまったのは覚えていますが、そのあとからの記憶が曖昧です。
確か13:00過ぎに分娩台に乗りました。子宮口が全開ということで、早速陣痛の「痛みの波(激痛の約1分とそこそこ痛い休憩時間が交互に来ます)」に合わせていきむのですが、胎児が出てきません。何度やっても出てきません。
そのうち、たぶん私が疲れてしまったのでしょう、眠くなってきてしまいました。眠くなっては激痛で目覚めていきむ、ということをしばらく繰り返していましたが、そんなことをしていても助産師さんたちから「起きて!」等とは言われませんでした。ありがたかったです。しかし今思えばあれは新手の拷問みたいな時間でした。セルフ拷問です。
なんでこうも生まれないのか、拷問状態の最中で医師が説明してくれました。
本来前を向いて(母親が仰向けでいきんでいれば仰向けで)出てくるはずの胎児が後ろを向いて出始めており、出てきづらくなっているとのこと。それでも自然分娩は不可能ではなかったらしく、医師も子宮口に手を突っ込んでサポートしてくれました。まぁそれはそれで、陣痛とは別のベクトルで痛かったですが。
それでも胎児は出てきてくれませんでした。
緊急カイザー
そうこうしているうちに、「赤ちゃんも疲れてきてしまっている状態」になってしまったと医師から告げられました。たぶんモニター上の胎児の心拍数が下がってきていたのではないかと思います。息子のときがそうで、そのときは吸引分娩に切り替えて出産しました。
今回は吸引どころではなかったようで、「帝王切開をします」と言われました。私ももう限界だったので「どうぞやってください」という気持ちで同意しました。
ただ「手術」なので、同意書のサインとか家族の同意とかが必要になります。私は激痛の中震える手でいくつか署名をし、夫、母に電話をして医師にことの説明してもらって手術の同意を得るという手続きをしました。
手術ということは麻酔をします。麻酔をするということは陣痛の痛みとおさらばできるということ……!
一刻も早く麻酔を打ってくれ!!
そう願っていましたが、手術室の準備なんかもあったのかなかなかことが進まず、その間にも陣痛は繰り返し訪れ、その上「手術で赤ちゃんが出にくくなるから」といきむことも許されなくなり、のたうち回るしかできない時間がしばらく続きました。拷問第2段階。おそらく1時間くらいその状態だったんじゃないかと思います。
麻酔は腰椎にされました。他にもいくつか注射されたと思います(腰椎麻酔の痛みを軽減する麻酔とか?)が、よく覚えていません。
麻酔が効いてきて陣痛も子宮口の圧迫感も、妊娠中ずっと痛かった腰すらも痛くなくなったところで手術開始。腰椎麻酔はされても眠らないので、私は室内の時計をぼんやり見ながら過ごしました。
始まってしまえば呆気ないもので、開始5分で出産。子どもはすぐ産声をあげ、大きなトラブルも起きなかったようでした。
その1分後に胎盤が出た、という会話までは聞いていましたが、そこからはたぶんしばらくウトウトしていて記憶がありません。手術が終わる頃に時計を見たら、トータル1時間くらいで手術が終わったようでした。
手術室から病棟へ運ばれているときに、待機していた夫と少し話しましたが、何を話したか覚えていません。
術後
術後すぐは意識が飛び飛びで、目覚めたのが19:00過ぎでした。夕食を食べそこね、この日はおそらく朝食しかマトモに食べていません。その朝食の記憶すらも「多分食べたと思う」という曖昧なものです。
術後24時間か、もう少し経つまでは発熱が酷く、気づくと身体中から汗が流れ出ていました。
そういえば手術室では「寒い」と繰り返していたような気がします。出産直後は体温が下がるとテレビで観たことがあったような……おそらくそれかな、と思います。
これを書いている今日は出産してから3日後にあたりますが、とにかく腹が痛いです。傷口の痛みなのか後陣痛(子宮が収縮しようとする痛み)なのかよく分かりません。息子を産んだときは後陣痛に苦しめられた記憶がなくて、「こんなの初めて」状態です。
あと、自然分娩をしようとしていたときの痕跡なのか、鎖骨近くの筋肉が筋肉痛を起こしています。腹を庇うので背中も筋肉痛に。これからあちこちが筋肉痛になっていくのだと思います。
昨日の朝までは腕や背中に管が通っていて、痛み止めや抗生剤が投与されていました。私はこれにプラスしてロキソニンである程度痛みを抑えられていますが、それでも耐え難く座薬を入れる方もいらっしゃるそうです。
なんせ腹が痛いので背筋を伸ばせません。昨日の午前くらいまでは点滴を引っ掛けるポールを押し車代わりにしないと歩けませんでした。まるでおばあちゃん。病棟にいる他の産後の患者さんはみんなスタスタ歩いていて、なんならヘアアイロンで髪を巻いて身だしなみを整える余裕のある方までいて、なぜ私だけこんなにボロボロなのかと少し悲しい気持ちになったりしました。
ていうか、どのみちカイザーになるなら促進剤いらなくなかった……???
そう思わなくもないものの、私が自然分娩を希望していたので病院の皆様は誰も判断を間違っていません。強いて言うなら私のバースプランの出し方が悪く、「ちょっとでもムリそうならさっさとカイザーにしてください」って言っとけばこんなことにはならなかったのかもな、と思います。自業自得であります。
外からの隔離
感染症対策の一貫で、基本的にお見舞いはできません。退院まで身内にすら会えない状況の中、LINEでせっせと連絡を取っています。
18日の夜中に家を出て以来会えていない息子のことが心配です。朝起きたら母親がおらず、しかも何日経っても帰ってこない、こんなことは彼の人生で初めてのことです。
夫が事情を説明してくれているようなのですが、イマイチ理解ができていない様子とのこと。それでも彼なりに現状に適応して頑張っているようです。
息子のことを思うと、早く退院したいなと思います。
他にも、経膣分娩と帝王切開の両方を経験して思うところ、なんていうのもありますが、それはまた別の機会で。長くなりそうですし。
子どもも私も、入院が長引くような大きな問題はなく、今日も無事に過ごしています。
長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
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