今度は本が捌けなくったって楽しめるかもしれない
そんなわけないか。
イベントで誰もスペースに来ないと暇だし、何より寂しさが一周して不安になります。
先日開催された文学フリマ東京。
私は不参加でしたが、Twitterで参加者の皆様の呟きを拝見しているうちに「また参加したいなぁ」という気持ちが、自然と湧いてきました。
でも、かつて私がサークル参加していた頃と雰囲気が違うという噂……。良いんだか悪いんだかという変わり方をしているようですが、私にとってはどっちなのか。それを肌で感じてみたいと思った、怖いもの見たさも動機としてあります。
何より、書きたい作品もようやっと出てきたのです。
最後に本を出したのが3年以上前。その時点から今まで、正直苦しい日々でした。
書きたいものがなくて。何も浮かばなくて。
アンソロジーへの寄稿(テーマが決まっている、提出を待っている人がいる)や本当に字数の少ない掌編(テレッテレーの参加を機に書けた)、エッセイ(イベントのために新刊を生やした)なんかは書きましたが、何にもきっかけのないところから「こんなの書きたいのよね!」とはならなくて。
それでも絞り出すように書いた作品は、正直自分で満足できるものではなく、最近の作品に至っては、ほとんどの人、知人にさえ読まれなくて。
謎の「アンソロ制作ブーム」が私の周囲で起こった時期に、「呼ばれる」ことがなかったのがなかなか寂しかったりもしました。
どうせ誰も待っちゃいないし、Webに投稿したって読まれないし、そりゃそうか、「面白くない」もの。アンソロ、私から手を挙げて参加して迷惑じゃなかったろうか。
謂はぬ色の暖簾を下ろすつもりも、ましてや梔子花を辞めるつもりもないけど、書けないんじゃどうしようもない。私にとって文を書くことは趣味であって、しんどくなってまでやることじゃない。しんどくなって辞める、二度と書かなくなることは避けたいけど、しんどい。
そんな気持ちと。
待ってちゃくれない人たちに、もしかしたらその中には私がもがいているのを鼻で嗤ってる人もいるかもしれないけど、そんな人たちに流されちゃいけない。自分なりの関わり方で良い。楽しめる範囲を越えないように線引きして良いし、しんどいなら楽しめるようになるまで休んだって良い。
そんな気持ちとの間でゆらゆらとしていました。
その葛藤からやっと、抜け出せそうです。
サークル活動、イベント参加を、休む前とは違った新たな心構えで取り組んでいきたいです。
もっと自由に。
作風も少し変わるのかな。今から楽しみです。
これは近所の公園の山茶花。
椿ではないのです。
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