新生児は重い。
沈丁花が咲き始めました。春が来ますね。
先日、同僚が無事出産したと連絡をくれました。写真つきで。それを見て、自分が息子を産んだ頃のことを思い出しました。
新生児は、自分の意志で思うように動けません。
手足はばたつかせるのみ。首はなんとか動かせる程度。言葉もないし表情もまだ豊かではありません。不快なら泣く、それだけです。笑顔は生理反応です。楽しんでいると思われるときも真顔です。鼻をほじったりかんだりすることも、かゆいところを掻くこともできません。排泄はできますが便の硬さなど個人差があります。私は何度も息子に綿棒浣腸をしました(今は大人しくしていられないのでやりたくてもやれません。飛び散ります。大事故です)。
言わば寝たきりの我が子。
嫌なことがあっても、この子には逃げる術がない。
活かすも殺すも、監護者の手に委ねられている。
子は疑うことを知らずに、こちらを信じきっている。というか、信じるしかない。
この信頼は、裏切れない。
これまで十月十日守ってきた命、亡くしてなるものか。
胸が締め付けられ、ものすごい責任を感じました。
呑気に「かわいい〜」なんて言ってられやしません。
ですが1年もすると、子どもは動きも感情表現もだいぶ豊かになります。興味のあるものに寄っていくことも、嫌なものを嫌だと表現することもできます。暴れたりとか。子どもの意志が幾分か分かりやすくなり、こちらの気持ちもだいぶ楽になりました。
もちろん、まだまだ親としての責任は背負っていくことになるのですが、少しずつ、命そのものというよりも社会的なものにシフトしていっているように思います。
命への責任の重さ、親にならなかったら知らないままだったかもしれません。知らなかった世界を知れて、「親になってみて良かったかもしれないな」と思います。
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