2021/01/01
昼に夫が、自身の実家で食べていたお雑煮を再現して振る舞ってくれました。白だしと少しの醤油、そしてこの具だくさん……ほかのきのこでなく榎茸が入っているのは産地だからでしょうね。優しい味で身体に沁みました。
私の実家のお雑煮は醤油ベースで具は小松菜のみ。それを朝から強制的に食わされるのが、幼い頃から正直嫌でした。特に幼い頃は小松菜の苦味が苦手だったので余計です。おせち料理(手作りではない)も何が美味しいのかよく分からず食べるのがしんどくて、毎年憂鬱でした。他のものを食べるという選択肢なんてなくて(たぶんボロクソに怒られる)、毎年渋々食べていました。実家はその後も7日の七草粥、15日の小豆粥と強制イベントが続くんですけど、それもしんどくて、最低限の量しか食べていませんでした。
何故眠い目をこすって朝から餅を食いちぎらなければならないのか。顎は疲れるし重たいし。保存食ならほかにもあるこの時代に、縁起や風習でなく理に適っている理由はそこにあるのでしょうか。
一昨年は年明けに入籍を控え「独身最後の年越しだから」と各々実家で過ごし、去年は私の出産と産後療養あってやはり各々の実家で過ごし、今年になってようやく自宅で夫(と息子)と過ごすことに。コロナがなければ義実家で年越しをしていたと思いますが、この状況なので帰省はしませんでした。
今朝はいつもと同じくシリアルを食べました。食べながら「元旦に普段通りの朝ごはんを食べるのは、物心ついてから初めてなのでは」と、ふと気づいたのです。長い人生、そんな年がどこかしらにあったって良いのに、30年くらいそんな過ごし方したことないままで生きてしまった……うかうかしてたら死ぬまで知らなかったかもしれません。「あっぶね」と思いました。どうせなら生きている間にいろんな体験を積んでいきたいものです。
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