『三大香木―沈丁花― 先生、ごめんなさい。』
先生の墓は、廟所の中でも一段と高くなっている場所にあった。墓誌の左端に刻まれた戒名と「山本 肇」という俗名が、やけに目につく。
いそいそと持ってきた花束を水鉢に挿して、線香を焚く。相変わらずの強風のせいで炎を上げてしまうので、僕らは香炉に投げ込むようにして線香を供えた。
屈んで手を合わせていると、沙希が言った。
「先生、瑞樹くんのこともずっと気になってたみたいだったよ」
「え? 何、突然」
乾いた笑いが零れる。そんなこと、あるわけがない。
何故なら僕は……僕は。
「だって」
その声の鋭さが「この話は笑い事ではない」と、暗に僕に伝えた。
「先生、飲み会の度に『瀬尾くんは元気かな』って、みんなに訊いてた。私も訊かれた。他のゼミ生のことも、どうしてるかって、先生ずっと気にしてた」
「……それで?」
「私たちも詳しくは知らなかったし、『今度は必ず来るように伝えますか』って、私も、他の子たちも先生に訊いてたんだけど、先生いつも『そこまですることじゃない』って言って……」
「……そう」
その言葉は、静かに僕の胸を抉った。
ほんの少しだけ期待していたのだと思う。先生の方から何かしてくれるのではないかと。
(「そこまですることじゃない」か……)
先生が言ったというその言葉を反芻する。確かに僕は先生にとって、その程度の存在だったのかもしれない。
「分かんないけどね」
沙希は言った。
「先生もさ、待つしかできないって思ってたんじゃない? ……まぁ、分かんないけど」
それを聞いた時、僕は僕の胸の中で、どろっとしたものが蠢くのを感じた。
沙希は先生の何を知っているのか。僕がすっぽかした飲み会に二、三回出席したくらいで、僕より先生を知っているような振る舞いをするのはやめてほしい。
「『私たちは非力だ。どんなに尽力しても最後は、生徒自身の力を信じることしかできない』」
「……?」
今度は、先生の言葉の引用か。
先程からじっと背中で聴いていたけれど、いよいよ我慢がならなくなって、僕は背後に立つ沙希を見上げた。
目が合う。
おそらく僕は、彼女を睨みつけていた。それでも彼女はこちらの視線に動じる様子もなく、静かな声で続けた。
「先生、よく言ってたでしょ?」
「うん……覚えてる、けど」
教師という職業は人を導くという性質から、一歩間違えると、生徒を自分の所有物だと勘違いしたり、生徒の個性を無視して自分の思い描く理想像に無理やり近づけようとしたりしてしまうおそれがある。教師というものは、常に生徒自身の持つ力を感じ取り、尊重する姿勢を忘れてはならない。それは学問を教えるのと同等に重要な、教師の専門性である。
先生は、ことあるごとにそのような話をしていた。
「私たちが生徒を待つことしかできないのと同じで、先生も私たちを待つことしかできなかったんじゃないかな」
「そうかな」
視線を逸らしつつ呟くと、間髪入れずに「そうだよ」という真っ直ぐな声が返ってきた。
「……」
先生は、僕のことも待っていてくれたのだろうか。
僕がくすぶっている間、ずっと。
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