『三大香木―梔子― 秘密の場所』

 天真爛漫。 

 学校で習った四字熟語そのものみたいな女の子だった。 

 自分にはない「自由」を、彼女は持っていた。 

 きらきらして、眩しくて。 

 ずっと友だちでいられたら良かったのに。


   ***


 雨の小路を行く。

 一歩を踏み出す度に、黒のレインパンプスがぐちゃりと音を立ててぬかるみの中に沈む。その足を蹴り上げれば、今度は跳ねた泥が八分丈のクロップドスキニーの裾を汚していく。 この不快感を受け入れ続けていれば、少しはあの日の償いになるだろうか。

 ――メグちゃんは、私のこと、好き?――

 そう問えば、彼女は不思議そうな顔をした。 

――うん、なんで?―― 

 その返答に一人安堵したのは、「否定されなかった」ことに対してではなく、「気づかれていなかった」ことに対して、だったかもしれない。

  嬉しかった。たとえそれが、「友だちとして」という意味だと分かっていても。 

――私も、好きよ―― 

 あの時はまだ知らなかった。そう告げてみたところで、楽になどなれるわけがないということを。 

「……」 

 黙々と樹々の狭間を進む。次第に濃くなる花の香りに酔わされそうになりながら。

 「……」

 大人になった今。 あの時と同じ六月の雨の日に、「捨てきれなかった」あの場所まで戻って。 

「……終わりにする」 

 目指す場所は、もうすぐそこだった。


   ***  


 バスの中から、ぼんやりと外を眺める。 

「……」

 ちらほらと傘の花の咲いた、ガラス窓の向こう側。芽久は歪んだ水玉模様の景色に、あの日の雨天を重ねていた。 

――メグちゃん―― 

 毎年この時期になると思い出す。幼い日のその出来事は、誰にも言えないでいるうちに、事実なのか空想なのか分からなくなってしまった。 

「毎度ご乗車ありがとうございます、次は……」 

 バスのアナウンスで我に返る。合皮のバッグを肩にかけ、バスが停まるのと同時に、芽久は席を立った。 

 バサッ。 

 ビニール傘の花を開き、街の景色に溶け込んで歩く。 

 社会人になった今も、芽久は年に一度、ある場所を訪ねている。時期は、決まって六月の半ば頃だった。 

 バス通りから遠ざかるように歩き続け、舗装されていない小路へと踏み入っていく。 どうやら、もう開花しているようだ。姿は見えずとも、「あの花」の香りが芽久を出迎える。 

(一年ぶりだね) 

 漂う香りに挨拶をして、ぬかるんだ小路を進む。レインブーツを履いた足元を見れば、自分のものではない足跡がそこに残っていた。そう古くはなさそうに見えるそれをなぞるように踏みしめて、芽久は一歩一歩、小路を進んでいった。 

 花の香りが、次第に濃くなっていく。

――綺麗だね。なんていう花なんだろう――

 静かに降りしきる雨の中で濃厚な香りを放ち咲き乱れる、その花の名を。 

――クチナシ―― 

 振り向いて、「彼女」は得意げにそう答えた。 

「……」

 香りが、景色が、雨が、あの日の記憶を呼び起こす。 



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